NPO法人屋久島移住ネットワーク・緑の風は、10月25日(土)、「エコエリア、エコライフによる移住の受け皿モデルづくり」をテーマに、第1回屋久島移住シンポジウムを屋久島町安房総合センターで開いた。関係者を含めて80数名の参加があった。(第1回シンポジウムお知らせの記事はこちら)
NPO緑の風は、地元と移住者が協力して地域づくりを行なおうと、昨年から移住促進活動を行っている。二年目の事業である屋久島と東京の二回のシンポジウム及び来年1月の体験ツアー、そして二度の移住アンケートは、鹿児島県「かごしま・くらし」を進める活動支援事業の50%助成を受けて行われている。(事業内容の詳細PDF)
そのほか今年は、4月から月例の「かごしま移住・交流ワークショップin遊楽館」と7月のかごしま移住セミナー(どちらも鹿児島県主催)で屋久島移住を案内し、いつでも参加可能な屋久島移住体験ツアーで多くの参加者を受け入れてきた。

安房総合センター。1階に教育委員会など役場の支所が入り、2階にシンポジウム会場の大ホール(定員300名)と大小の会議室がある。
屋久島移住シンポジウムは、屋久島らしい移住のありかたを考えるのが目的。移住者の増加で人口減少をまぬがれている屋久島で、世界自然遺産の島にふさわしい地域づくりを、地元と移住者が協力して行なうにはどうしたらよいか。その方法や仕組みを地元住民や行政と島外の識者などが話し合い、移住の受け皿モデルづくりを考えようとの趣旨だ。そのため、屋久島でまず議論し、その結果を元に東京でも議論することになった。
屋久島でのシンポジウムは、第1部として、いままで移住者が参加して行ってきた地域づくりの事例を各集落の代表者に発表してもらい、第2部パネルディスカッションで話を掘り下げようと進行を考えた。
以下、シンポジウムの進行順に、発表者(第1部)とパネリスト(第2部)等の発言の要旨を記す。
主催者挨拶: NPO法人屋久島移住ネットワーク・緑の風 富永英男理事長
皆様ようこそお越しくださいました。私ども緑の風もこの10月で1年になりました。昨年は3回東京でセミナーを開催し、今年1月には屋久島で移住体験ツアーを実施しました。ポンカン狩り、イソモノ採り、各不動産会社の物件見学、地元の方々との交流会等、参加者皆さんの喜びの声をいただきました。まだ1年しか実績のない緑の風でございますがお力添えください。スタッフ一丸となって世界自然遺産の環境保全、地域の活性化、地区の豊かな自然を生かした村おこしという面に力を注ぐつもりです。

来賓挨拶: 屋久島町 日高十七郎町長
私の知る限りにおいて未熟な状態ということが島の実態だと思います。私ども団塊の世代の皆様の受け入れ態勢を作ろうではないかと思います。移動の激しい年代、幅広い年齢層を屋久島に住んでもらう橋渡しをしましょう。企画調整課のホームページでPRしていた矢先だったので、NPO法人と趣旨を同じとしてタイムリーです。チームを組みながらやっていきたい。滞在、交流受け皿モデル事業としたい。いろいろなお立場の人の話を拝承したうえで、私は参加させていただきたい思います。屋久島は、心から移住を歓迎します。
●第1部 地域づくり事例報告
―移住者を受け入れて地域づくりを行なう各地区の取り組みを紹介―
湯向地区「海を活かして島おこし」: NPO緑の風事務局代理
湯向の区長さんは村づくり活性化計画として、定住者向け住宅を建設する予定。口永良部は海の幸が豊富、それらを生かした島おこしをしたいとのことです。
原地区「移住コンセルジュの試み」: NPO緑の風事務局代理
緑の風は原移住相談を行っています。各地域の方々に相談に応じてもらっているのが実情です。

吉田地区「観光資源を掘りおこして村おこし」: NPO緑の風事務局代理
吉田地区は人口205人の小さな集落。これといった観光スポットがないですが。平家のおちゅうどが屋久島にたどり着いたのが永田だといわれている800年前のこと。文化的には平成14年TVドラマまんてんのふるさととして有名になりました。その後、まんてん祭りが行われるようになりました。
吉田から見る東シナ海の夕日は屋久島で一番美しいといわれています。吉田集落にはちゃんとした定職についた20~40代の独身男性7~8名いるそうです。区長さんにNPO緑の風が嫁探しを頼まれました。そこで、緑の風は「まんてん・平家の里交流体験ツアー」を計画。都会の人を対象に、民家に泊まって船に乗って魚を取って交流を図ろうという行事です。11月1日~3日、集落あげて大歓迎します。島民の人も、11月2日にまんてん祭りがあるのでぜひ来てください。
安房地区「情緒あふれる街並を保存、再生」: NPO緑の風事務局代理
シンポジウムを考えて皆さんとご相談している中で公民館におじゃましたさい、つりばし等古い写真が飾られていました。今現在まんてん橋と呼ばれている赤いつり橋はかつては木製の橋で情緒あふれる姿であったといいます。安房港のジェットフォイルのところは海がめが産卵にきていました。数十年前の話です。
安房の古い町並みが好きで安房に移住した人がいます。屋久島は当時2万人の人口があったそうです。安房のたたずまいのなかに空き商店があります。その一角に、区長さんは交流の拠点を作りたいと。写真を飾ったり、子供からお年寄りまで集まる場所にしたいと。これからやることをNPOで応援したいです。

平内地区「遊休地を活用」: 西橋豊啓氏
私は鹿児島県伊集院出身の移住者です。昭和46年に屋久島へ来ました。現在牛飼いとたんかん農家をしています。平成4年から12年間平内の区長をしました。よそものに区長をさせるのかという声もありましたが、いったい何年たったらよそ者ではなくなるのか?と思いました。平内には移住者の第一人者である山田伝さんという人がいます。平内ではこの方が始めての移住者です。
平成4年に154戸あったのが16年間の間に300戸になりました。移住者の方々と夜中まで議論したこともあります。屋久島の慣習や習慣を地元の人と守りながら、移住者の人には新しい文化はたくさんあります。移住者の青木さんは老人倶楽部の会長さんになりました。
遊休地の活用ということですが、今農業委員をしていますが遊休地の改良を進めていきます。今年から農地を持てる広さが50アールから30アールに引き下げられました。農地をほしい人は農業委員会に問い合わせてください。農地を守るところは守って開発していくべきでしょう。
10年、15年見てきたが、島民と移住者といかに仲良く生活していけるかが問題。人と人との共生共存が課題だと思います。移住者同士のつながりも大切だと思っています。屋久島が発展していくように私も努力します。

永田地区「復活した伝統の『岳参り』」: 岩川健氏
平成4年に屋久島電工を50歳のときにやめて宿を始めました。私はいろいろまわってみて屋久島を観光地ではないと思いました。観光地というのはいっぺん来たら飽きるものです。屋久島は何回きても飽きないので保養地だと思いました。宿のお客さんで屋久島に嫁に来たいという女の子は多いが、屋久島の男の人で大丈夫だろうかという心配もあります。
私が始めて岳参りをしたのが小学校6年のときです。8個おにぎりを持って行きました。永田の前浜の砂を神様に持っていきます。鹿の沢に1泊しました。キャンプをして暖をとり日の出を拝んできます。三岳という言葉がありますが、あれは永田岳に登った元気のある人が黒味岳、宮之浦岳と三つ登ること言います。高い順番で三岳というのではありません。
白谷雲水峡を宮之浦の人は雨つぼといっていました。このように、昔の名前を変えることは駄目、歴史をなくすことだと思います。昔に比べて今の岳参りは近道を利用しているので意味がないと思います。私は永田で送陽亭という宿をしていますので寄ってお茶でも飲んでいってください。

麦生地区「農業振興で村づくり」: 鎌田政明氏
27年前のことを掘り出して今の麦生の村づくりの話をします。日本一の村づくり、しかも天皇杯をもらう機会がありました。昭和55年11月23日です。先輩たちのものを引き継いで賞をもらいました。そのころ麦生き総数が73戸のうち農家は56戸。280名中20代が36人もいたというのが発展する村と認められたわけです。1人の落ちこぼれのない村づくり、ポンカンで日本一の村づくりです。
麦生はグループ活動が活発で、話し合いや集いが行われています。私たちの集落では、大人から子供まで何らかのグループに所属しているというのが特徴です。昭和50年~平成7年まで後継者を育てるためみんなに役員をさせました。女性が元気な地域は村も元気。女の人が力を出し合って村おこしをしましょう。

小島地区「移住者との共生」: 岩川篤好氏
屋久島の中でも南に位置する小島の準農家です。世帯数は95、人口は190人。55%はUターン、Iターン者です。
21年から24年の計画書を作りました。小島の村自慢は14個あります。温暖で住みやすい、イソモノとりの名所、学校の神様を祭っている、尾の間温泉が無料、中学校の所在地、シドッチ上陸地、カトリック教会がある、もっちょむ岳耳岳、割石岳の三岳のせんぼう地、朝市を催しているなどなど。明るい村づくりをスローガンにしています。

「地域通貨『屋久の水』の取り組み」: 桑山善右衛門氏
4月から『屋久の水』の代表をしてます。大阪生まれで10年前に移住しました。すばらしい自然とよそ者を暖かく迎えてくれるので移住しました。溶け込みたいと願っています。いま老人倶楽部の会長をしています。小学校で補助教員の仕事もしています。
地域通貨とは屋久の水(やくのすい)と言います。水(すい)を単価とし、1水は1円。例えば草取り1時間は700水で、してもらった人はマイナス700がつきます。他人に労力や物品を提供するとプラス、受けるとマイナス。得意分野の交換が主です。もともと屋久島では「ゆい」というのがあって相互扶助をしていた。村の人たちが総出でやることが多かった。「島いとこ」というものがあって、遠くに行くとき一晩で帰ってこれないときに他人に宿を頼む、そしてお互いにいとこのように付き合う。交通の不便の時代はそうだった。
先人たちの知恵と工夫で成り立ったものを地域通貨といいます。3年の実績しかありませんが、たくさんプラスの人、マイナスの人、今年度末これをどうするのか議論しています。はっきりしていることは利息がつかないこと。投資や貯蓄にはならない。持っていると目減りする通貨です。できるだけ早く使わなければなりません。もうひとつ大事なことは、入会したばかりの人も利用できる。プラスがない人も。
いま80人の会員が一湊から湯泊までいます。新規が多い、移住者など知り合いが屋久島にいない人が入会します。仲間作りのために入ってくる人が多いようです。さびしい人が入会したりと、新しい人の社交になっています。そのためにしたわけではないけど。
屋久島に入ってくる観光客には水で払うシステムがあればいいと思います。加盟店で水で買えるのはよいことでは。水をぐるぐる回したいと思っています。

クエスチョンタイム:
(西橋氏へ質問)
遊休地を活用するという面では農地法3条、4条、5条を見直すべきでは?
(西橋氏の回答)
先ほども申し上げたように、30アールあれば農家の資格が得られます。流動化の対象になります。たとえば20アール買っていたとして足りない10アールは流動化で借りればあわせて30アールでみとめられます。30アールあれば農家住宅が建てられる。農業委員会に相談してください。
●第2部 パネルディスカッション
―エコエリア、エコライフによる移住の受け皿づくり(=屋久島モデル)を、移住者と共に考える―
コーディネーター: 杉浦英世(NPO緑の風事務局長)
このシンポジウムを、壇上にいらっしゃる人だけでなく皆さんといろいろなことを考えるきっかけにしてもらいたい。フロアの皆さんの意見をうかがう時間も残したい。移住の受け皿モデルづくりについて、屋久島の将来に向けて建設的な意見を期待しています。
まず、パネリストの皆さんの屋久島移住への考えと自己紹介をお願いします。
パネリスト: 泊竜二氏(屋久島町企画調整課企画振興係長)
役場(旧屋久町)は、平成12年12月に移住相談窓口を開設しました。これまで105件の問い合わせがありました。関東、近畿からが多く、東北、北海道はほとんどない。年代は20代から50代と幅広いです。相談者は、今すぐではなくて2~3年後のために考えている。屋久島町の場合、他の離島がやっている財政支援は考えていない。ライフライン、集落地区の相談などソフト部分を中心に対応しています。NPOを通じて移住された方もいる。今の現状を町としてどう対応したらよいか、今日の議論を楽しみにしています。

パネリスト: 柴鉄生氏(永田地区、会社経営)
屋久島の原生林保護にかかわってきました。昨年は町長選挙に立候補しました。今日は移住のシンポジウムということですが、屋久島に向かって人が動き始めたのは昭和40年代後半。1970年代半ばです。ヒッピーブームがありました。その間ずっと、屋久島移住をした人とお付き合いをしてきました。移住者は、一人一人が力を持っているので自分の考えが多くなります。
屋久島の抱えている問題、特に移住者と原住民との問題を区別していうのはほとんど意味がありません。自然との共生を考える場合、我々の課題は、屋久島というかけがえのないところで、どういうふうに屋久島に責任を持つかということ。自然の恵みをいただいて生きてきた島です。移住者の皆さんにとっては、愚かそうに見えても屋久島の伝統を、屋久島の考えを理解してほしい。第1部で岳参りの話が出ましたが、ずっと続いた伝統が失われたら屋久島の未来はあるのでしょうか。
パネリスト: 氏川恵次氏(横浜国立大学大学院国際社会科学研究科准教授、専門分野は日本・中国の産業開発論、産業関連論)
私は宮城県出身です。屋久島は農業を中心とした地域づくりが中心になると思いますが、選択肢として滞在型の観光があります。これに関しては後ほど述べさせてもらいます。

パネリスト: 岩川鶴美氏(安房区区長)
私はまだ区長をして半年です。今日は勉強のつもりで来ました。第1部では大変感動しました。各集落に文化があり、歴史がある。事例を身近に聞けて感動しました。
パネリスト: 日高輝久氏(麦生地区、農業)
移住の受け皿として何かできたらいいなと思います。屋久島の魅力は私たちの想像以上です。移住者の皆さんに役に立つことができたらよいと思います。
パネリスト: 菊池淑廣氏(船行地区、「屋久島メッセンジャー」フォトライター)
船行の菊池です。東京から家族4人で引っ越して4年目です。最初の2年間は安房に住んでいました。その後船行に引っ越しました。「屋久島メッセンジャー」で、広告関係の仕事とインターネットで情報発信をしています。自分の造語ですが、フォトライターとして雑誌などで写真と文章で仕事をしています。このほど『屋久島で暮らす』という本を出しました。
杉浦
いまNPOが行っている移住のアンケートですが、26区集落の区長さんから回答をいただきました。移住者の概数は、約600世帯、約1000名。人口14000人弱、約6600世帯の屋久島の1割近くになります。詳細は、2月にまとめる予定です。
それでは、移住を受け入れる地元の側と、屋久島へ来られた移住者の側の意見をうかがいます。役場には、移住のポイントをお願いします。

日高氏
昭和55年から村づくりをやっていた時代は厳しい時代でした。麦生では、他人に農地を譲渡しないということで転売しなかったです。その後他の地区のように売ることに同調しましたが。
平成元年に区長をし、人間が生きていくために何が一番大事だろうかと考え、水の問題に取り組みました。浄水場がよくないということで国に陳情しました。隣の高平集落は開拓地で半分は移住者です。飲料水に困った時代があったので、高平から水をもらいました。いい水を飲めば長生きできます。
屋久島に希望を持つ人がいれば受け入れたい。農地のほうも柔軟に対応したいと思います。
菊池氏
移住して3年半です。移住者との共生の言葉が出てきましたが、屋久島へ移住をするとき屋久島は世界が小さいから大変じゃないかと周りの人から心配されましたがそんなことはなかった。
実際に移住すると、いろいろな問題があります。まず仕事と住宅というのがハードル。不動産屋に電話をしても空きがないと言われました。つてがないと借家に入れない。私は知人友人が屋久島にいたので情報をもらえた。この点がクリアできれば島に入りやすいのではないでしょうか。今日は町長がいらっしゃるので、空き家の斡旋を町に対応していただければ移住者の助けになります。

泊氏
屋久島に空き家はほとんどなく、町営住宅で対応しています。
移住のポイントということですが、役場の移住相談窓口は移住者に必要な情報源を教えています。TVはアンテナで見ることができない地域もあること、電気を引くのは受益者負担であることなどを教えています。
せっかく移住されるのであれば骨をうずめる覚悟で来てほしい。虫が出るかという質問もある。台風、停電、船や飛行機の欠航、台風時の食料品の品薄なども伝えている。26集落あるが、溶け込んでいただくことが大切ですと話しています。
杉浦
私は不動産会社に勤めていますが、ボランティアでNPOをやっています。NPOは公共性がないと駄目で、このNPOは会社とは一線を画して運営しています。ビジネスとNPOは異なりますから。
住まいのことで不動産会社の果たす役割は大きいです。確かに屋久島に空き家はありませんが、一湊、吉田地区には空き家がないわけではありません。しかし、貸さないというか貸せない理由があるようです。一方で、貸して移住者に来てほしいという地区や、借りたいという要望がたくさんあります。
移住のポイントでもう一つ重要なことは仕事です。離島の屋久島は仕事が少ないです。NPOも皆で仕事を創っていきたいのですが大変です。
次は、移住の受け皿でもある一次産業、農林漁業を頑張ろうとか、環境を守ろうとかの議論をしてください。

氏川氏
滞在型観光を中心に触れます。日本の地域づくりにおいて屋久島の位置づけは特殊(恵まれ過ぎている)。世界遺産を活かしたモデルとしてとらえるべき。第1部で、岩川さんから屋久島は観光地ではないという話が出ましたが、専門的な言い方をするとマスツーリズム、つまり大衆型観光と、オルタナティブツーリズム、滞在型観光がある。オルタナティブツーリズムの中にエコツーリズムも入っている。観光地というのは、マスツーリズムとオルタナティブツーリズムの間で動いています。
私は中国にも行きました。雲南省は特徴的です。かつて小規模のエコツーリズムを推進する場所でした。93年に文化遺産になって規制が強くなり衰退した。日本人に人気の中国の九寨溝(きゅうさいこう、四川省)は90年代前半に世界遺産になり、大きいツアーを受け入れてうまくいっていた。地震などあってから安全が危ぶまれ規制がひろまり、なおかつ自然が失われてきています。
富士山の自然遺産登録は難しいなどの問題も日本ではあります。
柴氏
屋久島ほど恵まれた島はありません。泊如竹(じょちく)が屋久杉を切ったということや、海の幸、山の幸、自然環境があって島民は豊かな中にいます。若い人が屋久島に生れて誇りを持てるようになった。いま観光というのは自然の価値への依存で成り立っている。保全は当たり前です。
自然の復権の意味は、一次産業が中心なのだろうか?、農業は、自然の恵みや潤滑にゆだねていくということなのか?共生と循環を人類が経験したとすれば、それは縄文時代にあった。屋久島は弥生時代の影響を受けたのではなく縄文時代の影響を受けた。自然が豊かだけではなく、共生と循環という仕組みが行き続いている島である。
今の課題として山のし尿の問題は国が処理をやるべきで、国がやらないならその間は屋久島町が自前でやるべきです。

岩山氏
私は51歳です。40歳の時に乳がんになり2年前に再発しました。残された人生で、何か生まれ育ったところでご奉仕はできないか考えていました。そのとき区長選挙があったので、家族に相談して区長をすることになりました。大先輩からのメッセージをいただいて、よそ者をよそ者扱いせずに仲良くしなさいと言われました。
この地区は、歴史的文化的に大切な伝統行事が行われています。自分たちの先祖、先輩たちが作ってきた歴史があります。安房では泊如竹という人の教えが語り継がれてきましたが、今の子供たちはそういう話を聞いているのだろうかと考えていました。
6月28日に如竹祭が行われ、子供たちと泊如竹の紙芝居をしました。如竹先生は安房で生まれた実在の人物です。人の生き方や人間性の大切さを教えました。屋久杉に斧を立てかけておいてそれが次の日に倒れていなければ切ってもよいということで、屋久杉を切り出すことで貧乏だった島民を救いました。私財を投げ打って水路も作りました。安房は塩水で飲料水が適さなかったからです。安房の活性化は如竹先生をおいてはないと思います。島民も、Iターン、Uターン者も、ひとつの気持ちでいることが大切だと思います。
杉浦
移住のアンケートで、ほとんどの区長さんから地元と付き合わない移住者はよくないと言われました。コミュニケーションできないのはごく一部でしょうが、移住してきてもらっては困ると言われました。
屋久島にも過疎・過密の問題があり、島内でも都市部は地域コミュニティーが失われそうだと聞きます。移住者は期待されています。屋久島の自然を守るために、地域のコミュニティーに参加してもらいたいです。年配者は静かに暮らしたいという気持ちもわかるが高齢になると地元に厄介になることもあるので地元に溶け込んでほしいです。環境保全で屋久島のトイレの問題は大変です。住民の代表が行政なので、これらの問題も普段話し合える場を作り出してほしいです。
もう時間が無いですが、最後におひとりづつ、「エコエリア、エコライフによる移住の受け皿づくり」というシンポジウムのテーマについて話してください。ここですべて結論がでるのというのではなく、このシンポジウムをきっかけにして皆さん自身の問題として受け止めてほしいと思います。

菊池氏
実際問題として、移住しやすい環境を整える制度を作ることが大切。私も屋久島というのは特殊な島と思います。屋久島はブランド力が高いが、品質はまだ発展途上だと思います。先月、京都の学生が研修ツアーに来られ、自然は素晴らしいが町には普通にゴミが落ちていてそれで説得力があるのか?と言われました。そういう意識を改革していくことが必要です。自然との共生を歌った「屋久島憲章」は移住する前に読みましたが、素晴らしいと感動しました。
日高氏
農家の立場から一言。1993年世界遺産になり、屋久島の農産物の出荷は価値があります。知名度が高いです。観光国際大学の誘致の話があったり、世界が屋久島を注目しています。パパイヤを野菜として出荷しようということで、何人か集まって栽培を始めています。移住者と原住民が力をあわせて共生できる世界遺産の屋久島にできたらいいと思います。
岩山氏
移住者は、住民票を移すときに区事務所に顔を出してほしいです。いろいろな説明もできるし顔を知れば仲良くできます。
氏川氏
学生がエコツアーで中国に行きました。職を見つけて中国の人と結婚するようです。現地に片足をいれるというのではなく親指程度でもいいと思うので、受け入れていただくという考えで行っています。
柴氏
エコライフ、エコエリア、エコツーリズムというが、外の人が考えていることがエコであり屋久島のエコツーリズムなのだろうか。屋久島の伝統の中に本質があります。屋久島の伝統に根付いたものじゃなくてはならないのです。例えば、泊如竹が屋久杉を切ったとき森にこもって森の神にお伺いを立てるという手続きをする、というのが屋久島の本質ではないでしょうか。
泊氏
26集落あるが子供が少ない集落もある。高齢化が進み伝統行事の承継が難しくなっている集落もある。区長さんたちは、地域づくりを移住者に担ってほしいと思っています。

質疑応答:
(松峰地区女性の質問)
移住して10年になります。ひとつだけ聞きたいことがあります。私はアレルギーなので無農薬無添加で生活してきました。屋久島で農薬を使うことは町としてはどう思っているのか知りたいです。農薬を使わないでやってほしいです。今すぐ答えてもらわなくてもいいです。
(永田地区男性の質問)
永田は、昔は1000人、今は500人ですが、そのうち70歳以上が200人です。何歳の人が移住するのかわかりませんが大丈夫ですか?健康保険料の問題など心配です。
(泊氏の回答)
移住者の年代は20代から50代です。子供がいる若い人に移住してもらいたいと思います。集落が元気になるので。
(春牧地区男性の質問)
移住して1ヶ月もたっていません。日本中どこへ行っても状況は同じだと思う。誰も自分の土地のことは勉強しない。島の人はもっと勉強して、移住者ももっと勉強してほしい。

(高平地区男性の質問)
合併してひとつの島になってから両町の共生意識が希薄だと思う。各公民館で行事などのことをビデオで流して見てもらえれば他の集落の様子もわかると思う。
(日高十七郎町長の発言)
パネルで住宅の問題が出ましたが、空き家はなかなか無いですね。一時的に民宿に安く泊まる方法もあります。住民票がなくても入れるように、町営住宅の見直しを検討しています。
●第3部 エンディングライブ
―島の伝統、地元芸能と移住者の新風が融合―
主催者挨拶: NPO緑の風 山岡寛治理事
時間がだいぶ予定をオーバーしたので、申し訳ないですが出演者のプロフィールは省略させていただきます。では、ごゆっくりお楽しみください。

尺八演奏「みかんの花咲く丘、荒城の月、千の風になって」: 久保田義則氏

踊り「屋久島エレジー」:舞扇祥華氏、舞扇美鳳氏

踊り「親子杉」: 舞扇流家元 舞扇祥鳳氏

三線演奏と歌「童謡とナツメロ」: 輪島武子氏
閉会挨拶: NPO緑の風 日高雲平理事
最初NPOの移住支援の話を聞いたとき、TVの人生の楽園の(定年後の)イメージが強くありました。ところがふたを開けてみると、年代がさまざまで若い人もいました。屋久島という島は自然遺産で規制がかかっていると誤解を受けます。また、外国から屋久島に嫁さんに来ている人がうまくいっているのに、日本から来た移住者がうまくいかないのは不思議です。移住支援として屋久島は居心地のいい環境を提供すればよいと思います。
(発言要旨の作成はみー、ミナミ)
関連記事:
≫屋久島メッセンジャー 屋久島移住シンポジウム
今回のシンポジウムの内容や屋久島移住についての問い合わせは、NPO緑の風事務局(TEL:080-5485-1440)へ。
第2回シンポジウムは11月22日(土)、東京都千代田区神田神保町日本工業大学ホールで行う。(詳しくはこちら)
また、2009年1月17日(土)~20日(火)、屋久島で『滞在・交流体験ツアー』を開催する予定。(詳しくはこちら)
参考資料
●屋久島移住シンポジウム プレスリリース(PDF形式)
●第1回屋久島移住シンポジウム パンフレット(PDF形式)
●第1回屋久島移住シンポジウム 当日プログラム(PDF形式)
※地域づくり事例報告、パネルディスカッション等シンポジウムの内容は、09年2月作成の報告書にまとめる予定です。どうぞお待ちください。