去年ほどではないが今年も屋久島に来る台風は少ない。空梅雨だったこともあり、雨量の少なさは記録的ではないかと思っていたら、今月に入って大雨や雷や地震まで来た。天候のブレは年々ひどくなる。温暖化は、間違いなく進んでいると思う。
あれから1週間が経つ。総選挙の結果もやはり、天変地異に匹敵する出来事だったと思う。

古新聞の片付けをしていたら、たまたま皆既日食当日の記事が目に留まった。考えてみたら、日食前日の21日が衆議院解散の日だった。
いざ決戦!などと勇ましい文言がかしましい。選挙の日が近づくにつれ、歴史的瞬間が近づいているという見出しが躍っていた。そう言えば、皆既日食にも「世紀の天体ショー」と枕詞が付いていたっけ。マスコミは大仰に騒々しくするのが得意だ。離島の繰上げ投票が順調に行われているという記事もあり、選挙結果が出るまで落ち着かなかったことを思い出した。
思えばずっと昔から願ったチェンジだった。戦後の高度経済成長期を通して、我々は物質的には豊かになった。容易に欲しいものが手に入るようになった。しかし、失われたものの大きさを忘れたわけではなかった。
バブル崩壊で経済成長が止まり、長い停滞の時代となる。社会のひずみや様々な格差が広がるようになった。そこでチェンジだ。
政権交代が実現して実際に世の中が変わるかどうかはこれからだが、期待するような結果が出なければ我々はまたチェンジを願うのだろうか。
毎日新聞8月31日の社説に、「かじ取りを委ねた有権者にも責任がある。日本政治は、これまで以上に国民が当事者として参加、監視する新時代を迎えたのだ。」とあった。他力本願をやめ、主体的にかかわれと言っている。
もちろん、人々にとって普段の生活の中で政治にかかわることは簡単ではない。仕事に追われ、生活に追われ、遊びに追われ、政治は身近な存在ではない。
しかし、政治は利害調整を担ったり国の仕組みを定めたりする社会の基本だ。自分や家族を大切にするためにも、政治と無関係ではいられない。
劇的な選挙結果だった割には、世の中に高揚感が見られない。直ぐにも景気が良くなり社会に明るさが満ち溢れるわけでもないから当然とはいえ、それだけが理由ではなさそうだ。
国民の多くが、あちらが期待できて良いというプラスの選択ではなく、こちらは信用できなくてダメだ、一度変えようというマイナスの選択をしたからではないだろうか。従来の政権党に白紙委任を続けてきたが、どうにも具合が悪いと気付き、変化を望んだのではないだろうか。
しかし、政治は他人事と自らものを言わず、長く他人まかせにしてきた結果、能動的な選択ができなくなってしまっているかもしれない。4年前のフィーバーも、思えば受け身の熱狂だったような気がする。
憲法に、主権は国民にあると書いてある。将来が見通せない時代だ。変化への主役を、国民は引き受けるつもりがあるのだろうか。本気度が試されるのはこれからだ。
まずは、新政権を見守らなくてはならない。旧政権党も気品を持って再生して欲しい。国民自身も、社会参加を通じた政治へのかかわりを始める必要があるだろう。「公」に身を委ねてばかりではなく、「公共」を自ら創りだしていく気概を人々は持ってほしい。
社会参加をもっと身近なものにするためには、NPOや地域コミュニティーなど新旧の共同体が機能することが望ましい。自然に感謝し地域のつながりを大切にする伝統的価値観と、経済成長一辺倒から幸福度重視へと舵を切っていく考え方には、相通じる部分があるのではなかろうか。
天変地異の多くは人災と言われるが、今回は人為の結果だった。国のあり方が根本から変わる可能性のあった選挙に、有権者の約7割(屋久島は約77%)が票を投じたのだ。責任を取るのは有権者以外には無い。
屋久島では、9月20日に町議会議員選挙を迎える。島民はいままでどおり選良への白紙委任を続けるのか?それとも主体的に行動するのか?チェンジの風は南の島へまで及ぶのか?島独自の問題が伝統社会を揺り動かす力となり得るのか?
総選挙のデータ(※)によると、屋久島の有権者の意識は、鹿児島の他の離島に比べちょっと違うことがわかる。都市部で圧倒的な強さを見せた新政権党は、郡部ではそうでもなかった。屋久島の比例代表の結果は、他の離島と反対だった。移住者の割合が他に比べて多いことが、ひょっとしたら影響しているのかもしれない。
ともあれ、変化の形が少しでも現れるのかどうか、町議選の結果を注視したいと思う。
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